完璧主義の出口 ②
どんなに些細なことでも、100点はなかなかとれるものではないのです。
自分に足りない部分に目を向けて、次はできるように努力するのは、成長するには欠かせない、とても大切なことですが、それをするということは、常に自分をどこか欠けた不十分な存在として認識するということです。
そう思い続ける限り、自分に満足できる日は永久に来ないのです。
それは、その人が客観的にどれだけ高いレベルのことを成し遂げていたとしても同じです。
自分自身がそれを高いレベルだと思わない限り、世界中の人がすごいと言っても、何の慰めにもなりません。
俳優さんが亡くなるたび、SNSやネット上にたくさんの悲しみと嘆きと、どれだけ素晴らしい方たちだったか称賛する声が書き込まれていました。
その様子を天国で彼らが見ていたとしたらどんなことを思うのだろう、と考えてみることがあります。
もっと言えば、それを亡くなる前の彼らが見ていたとしたら、彼らの自殺は防げたのだろうか、とも。
でも、結果はおそらく変わらないのだと思います。
誰に何と言われても、それを嬉しいとは思いつつ、満たされない、そんな気持ちを抱くのではないかと思うのです。
まず最初の問題は、完璧主義者が自分で自分を完璧主義であるとそもそも認めないというところにある気がします。
完璧主義者であればあるほど、えてして、自分が自分に求めていることは、人間であれば普通に実現できるはずのことで、それが出来ないことの方がおかしい、と考えているように思います。
その根拠はというと、シンプルに、まわりにそれをできている人がいることです。
つづく