スーパーでのあれこれ
スピンオフのスピンオフ、あの美味しいお菓子の後日談です。
私の家の近くには、日本で言うところの西友があります。
何を書いてあるのか現地語なので、ほとんど分からないものの、2個で1個の値段!とか、期間限定!とか、本日限り!とか、毎日特売!的な何かが書いてあるのは雰囲気でよく分かるのです・・・
店内には至るところに段ボールごと商品が積み上げられています。
あと何だろう、なんとなく名前もチープな感じ(これはただの偏見)
でもこの間何か足りないな~と思ったら、テーマソングがないことに気づきました。
よく「う~なぎうなぎ、う~なぎうなぎ♪」とか、「ぽいっぽいっぽいっ3倍3倍♪」とか、「ぱっとうぃーけんとむ♪」(←?)とか、いろいろあるじゃないですか!
(しかし、なぜか思い出せない西友のテーマソング)
スーパーのテーマソングって、一人のとき猛烈に歌い上げたくなるんですよね。
そこで最近では、買い物をしながら勝手にテーマソングを作って小さく口ずさんでいます(変な人)
こちらに来て最初に悟ったことが、人間の生活なんて、どこに行っても大して変わらない、ということです。
生活を始めてから、いや、もう空港に降り立ってバスに乗ったあたりから感じたのですが、スーパーで買い物をしていると、特にそう思います。
生活するためには、何らかの仕事をしてお金を稼がないといけなくて、
毎日どこかしらで食料を調達して料理したり、買ったり、もらったりして、
家は放っておくと埃がたまって汚くなって、掃除するための道具を買って、
お店に行けば、安いものを売る店から高級店までいろいろあって、
町には、職業や収入によって、生活スタイルの違う人が混ざって生活していて、
クレームを言うお客さんがいれば、物乞いをする人がいて、
見知らぬ人に手を差し伸べる優しい人がいれば、犯罪に手を染める人もいて。
これまで観光で来たときには、違う事柄ばかり目について、むしろその違いを見たくて来ているので、そんなこと全く思いませんでしたし、
学生時代にホームステイした時も、それはどこか非日常の延長線上にあって、気づくことができずにいました。
生活して初めて分かった、とても重要な、かけがえのないことだと思います。
前に家族で旅行した時、電車で私たち家族の前にフランス人と思われる、お母さんとお兄ちゃんと妹、という3人が座りました。
金髪のお母さんが話しかけているのに、黒髪のアニメTシャツを着たお兄ちゃんはスマホをいじってまるで話を聞かず、妹はまだ幼く、靴を履いたまま椅子に上がろうとしてはお母さんに止められています。
それを見て私の母が、
「あのお母さん大変ね~、お兄ちゃん日本のアニメが好きすぎて髪染めちゃうし、妹はやんちゃだし」
と言いました。
これはもちろん何の根拠もない憶測で、ちょっとした冗談で笑った思い出です。
でも、妙にそのお母さんの気持ちを正確に代弁しているようで、子どもを育てた母にしか分からないものが通じ合ったのかもしれない、という不思議な現実味を感じました。
人間って結局変わらない、という私の悟りは、たぶん、このだいぶ前に母が言ってたことと同じ感覚です。
言葉や見た目でカモフラージュされて全然違うように見えても、抱えている問題の本質はあまり変わらないのかもしれない。
スーパーは、まさにこの、毎日何かしら食べなければならないという人間の本質に向き合う人であふれています。
あ、おばちゃんたちがレジの外と中で、ここにいるよ!って手を振りあってる。
一緒に帰るのかなあ。なんだか日本と同じで微笑ましいな。
あ、お母さんと子どもがいるなあ、一緒に買い物来たのかなあ。
ってあれ?肌の色が違う?もしかしてあれは噂に聞くお手伝いさんなのか・・・?
野菜売り場での苦悩は、前にとみおの回で書いた通りですが、お肉売り場でも同じことです。
なんでいつもスーパーのマークしか書かないかなあ、それよりも産地を教えてくれ!
(最近知ったが現地語では書いてあるらしい)
ふと、横を見ると、欧米系の方も真剣に買い物中。
迷いますよね、全部スーパー産ですもんね・・・と目を細めて同情していると、なんとその方は、手に持っている肉の上で振り子を振っていた!!!
その気持ちは分かる、分かるけども!!!
(ダウジングというらしい)
静かにその場を離れると、パン売り場に、前回夫と食べたお菓子と同じものが売っている!
この間美味しかったし、ここでも買ってみようかな(値段はなんと5分の1)
家に帰って早速二人で食べると、それが、ふ、普通に美味しかったのです。
なるほど、コンビニスイーツ的な状況も世界共通ということなのか・・・!?(混乱
こうして一気にプレミアな誕生日プレゼントが、ただ食べたかったものを一緒に食べた思い出に成り下がってしまったのでした・・・スーパー恐るべし・・・