たまのおいとま

めぐりあわせのおかげで海外でしばしおいとまいただくことになった会社員の冒険と発見と悟り

たま、学生に戻る<後編>

さて、通うまであんまりよく考えてなかったのですが、第二言語の英語を使って第三言語を習うというのは、なかなかカオスです。

 

もうノートも英語なんだか日本語なんだか、現地語なんだか、よく分からないことになっています。

 

隣の方はもちろん別の国の出身で、母語も英語ではありません。

授業中、ふと想像します。

もしこの方が私のノートを覗いたら、一体どんな風に見えるんだろう。ひらがなやカタカナ、漢字は別の言語に見えるんだろうか・・・

日本人である自分から、ちょっと浮遊するような感覚がぞわぞわして楽しくて、授業中、これをこっそり何回もやってます←

 

クラスメイトは国籍様々で、同じ国籍の人同士でも、よく聞くと長く住んでいたのは別の国だったり、家族が別の国の人だったりと、いろいろです。

 

外国人の駐妻さんと仲良くなれたらいいな、と密かに夢見ていたのですが、その願いはいとも簡単に叶えられました。わーい!

子どもがいる方もいれば、いない方もいて、一緒にランチをしたり、夜ご飯の献立を探りあったり(?)できるのが有難いです。

 

その一方、女性ばかりかというとそうでもなく、男性と半々くらいです。

その中でも、兵役前だという(!)学生くらいの歳の人から研修中の社会人までいろいろです。

 

お互い気は遣うけれど干渉しない、このインターナショナルで自由な雰囲気がとても好きです。

大学時代に数週間でしたが、ホームステイしながら英語の語学学校に通っていた時と似ています。

ただ、違うように感じることもあります。

 

それは、友達作りへの臨み方(?)です。

何だろう、一度社会人を経験したせいか、初めの頃、私は一瞬、あれ、友達ってどうやって作るんだっけ??となるという、不思議な体験をしました。

 

休みを取る前、人の出入りがとても多い会社にいたので、本当に多くの人に会い、別れ、良くしていただき、楽しい毎日を過ごしました。

(私は人と話して自分と違う考え方や体験を知るのが、とても好きなのです。)

 

仕事を一緒にしているからこそ、最初の挨拶とか、ちょっと時間が空いてしまったときの会話とかに困らない気がします。

また、仲良くなろうが、なるまいが、一緒に何かをすることは変わらないので、見えない細い糸にふんわりとグループにされているような感じがあります。

(この糸のタイトさは職場によるでしょう)

 

でも、仕事も何もない友達って、もっと不安定な関係で、ただ隣にいるだけです。

ただ隣にいるだけ以上のことをするのは、全て自分の意思であって、仕事という言い訳が成り立ちません。

 

私は前述のとおり、好奇心でできている人間なので、もう、こんなにインターナショナルな空間にいると、仲良くなりたくて、うずうずしすぎて大変です。

 

でも、そのうずうずした気持ちに突き動かされて見境いなく話しかけまくるのは、自分があまりにも、自分の都合で、自分のために動いている気がしまして・・・

その結果、加減が分からなくなり、トモダチッテワカラナイ状態に至るという・・・

 

うーん、これが学生と社会人の違いなのか・・・こんなことは絶対ホームステイの時には考えませんでした。

その頃の自分は、もっと失敗することを恐れていなかったのだろうか・・・

 

でも、もう一つホームステイの頃と違うのは、圧倒的に一緒に過ごす時間が長いことです。

ホームステイの時は、学生が自由に受講期間を選べる学校だったので、1週間ごとに学生が入れ替わることもざらだったのですが、今は3か月みっちり毎日顔を合わせます。

ある意味、ちょっと仕事に近い環境かもしれません。

 

そのせいか、ホームステイの時は、結局それ以降、連絡を取るような友達が一人もできませんでした。

(これは私が当時、今よりもっとIT音痴だったせいもあるけども・・・)

 

もしかしたら、今回は違ったりするだろうか・・・と淡く期待しながら、のんびり同じ方向を向いて、同じ空間を共有して、ゆっくり人間関係を作ろうと、ぎこちなく試みています。

 

よく考えれば、小学校~高校の人間関係に近いのかもしれません。

ただ、大きな違いは、ちょっとした言動や行動で自分が周りから浮かないように、常に注意するようなことをしなくていいことです。

 

私は幸い、いじめを受けることなく生きてきましたが、周りでそういう状況を見聞きすることはありましたし、特に中学の頃は、本当に文字通り、一挙手一投足に細心の注意を払っていました。

 

「こんなインターナショナルな空間が好き💛」とか言いながら、初めて教室に入った瞬間、教室のどの席に座ってどの人と話すのが「正解」なのかを分析してしまった自分に幻滅しました。

そしてこんなところから、私は自分がいかに小さな世界の住人だったかを再認識しました。

 

一方で、じゃあ文化の違いを盾に何をやってもいいのかというと、それも違うのだと思います。

このインターナショナルな世界を居心地の良いものにするにも、きっとルールが存在するはずで、たぶんそれは、まわりの人を大切にしたり、尊重したりする心なのだろうと思います。

 

ぎこちなく距離を取りながら過ごす毎日の先に、いつか物理的に距離ができても、それを超えて連絡を取ろうとお互いに思える、本当の友達ができたらいいなと思います。

でも、そのためにはたぶん、もっと人として魅力がないとだめで、まだまだ、語学以外にも勉強できることがたくさんありそうです。

 

そうした気づきも、少しずつ、書いていけたらと思います。