本の話6「アルジャーノンに花束を」
今日書くのは、ダニエル・キイスさんの「アルジャーノンに花束を」です。
(ネタバレあるので要注意!)
ドラマ化されておなじみかもしれません。
私は、ドラマは見ていなかったので、今回本で読んだのが初めてでした。
読んだ後、主人公のチャーリイのことを思って、悲しいと考えるべきなのか、良かったと考えるべきなのか、しばらく悩んでしまいました。
こんな風に悩む作品は初めてでした。
あらすじをざっくりまとめると、IQの意味での頭が良くなることと人間的に成長することとは別物で、手術によって得られたのはIQの意味での頭の良さであって、そしてそれさえも長く維持することはできなかった、という話になるのだと思います。
ここまでが、はっきり書かれていることです。
一方で、チャーリイは手術を通して人間的な成長を得られたと考えるのか、それともむしろ手術によってチャーリイはもともと持っていた人間的な温かさを失い、そしてIQが元に戻った後には皮肉にもそれだけが戻ってきたと考えるのか、はたまたこれらとは全然違うように考えるのか、そこは読者にゆだねられていると思います。
そしてこのことをどう考えるかということが、冒頭の、悲しいと思うか、良かったと思うかに関わってくるのだろうと思います。
作品中の多くの登場人物たちは、チャーリイのことを手術によってIQの乱高下に遭い、翻弄された、かわいそうな守るべき人、と思っているように見えて、それにつられて最初は私も悲しいと思うべきなのかな、と思ったりもしました。
でも冷静に本の内容を振り返るにつれて、悲しいと思う必要は全くないのではないかと思うようになりました。
というのも、手術前のチャーリイと、IQが戻った後のチャーリイは別人と思うくらいに変わったと思うし、人間的にさらに成長したと思えるからです。
何よりもチャーリイ自身が、手術を受けてみて良かった、と書いているところを読んでそう思いました。
振り返ってみると、チャーリイは、IQを得た後、両親に会いに行ったり、恋をしたり、口論したり、逃避行をしてみたり、いろいろなことをしています。
決してチャーリイの日記にその自覚は現れないし、周囲の人たちが必ずしもそれに気づいているわけでもありません。
でも、私には確かにそういう出来事を通して、チャーリイの中の人間的な何かが少しずつ変わって行ったように見えました。
そして最後の、手術を受けてみて良かったという一言に、それが凝縮されている気がしました。
はじめ私は、そもそも人間性って何だろう、と思いながら読んでいたのですが、それをこの本は、「書かないで描いている」気がしました。
どこにも書かれていないけれど、私は読んだ後、人間性というのは、自分の頭で考えて行動して、結果に直面して、いろんな感情を知って、そういう外の世界との関わりを通して、ゆっくり成長していくものなのかもと思いました。
そしてその成長は、IQを得てある程度自分の頭が使いやすくなった後に、どうしても時間をかけてやらざるを得ないことなのではないかと思います。
それは何もチャーリイだけでなく、物心ついたあと、誰もが歩んでくる道なのではないかと思います。
チャーリイが普通の人が普通に手にしているもの(IQ)を手に入れた後の時間はたった半年くらいです。
その間の人間的成長がほとんど目に映らないものだったとしても、一般の人が幼少期から成人になるまでに培う人間的成長のスピードを考えたら、むしろ短期間によく詰め込んだと思うくらい、スピーディな成長だったのではないかと思います。
その短い期間で、チャーリイは決して歩みを止めることはなかったと私は思います。
書かれていないけれど、チャーリイが人間的な成長をしたはずだ、と確信を持った理由の一つは、チャーリイが両親や兄弟に会って自分の過去に区切りをつける場面です。
これはIQがないばかりに人一倍辛い経験をしたチャーリイだけに特別な経験かというと、そうではないと感じたからです。
多くの人が、まずは親や周囲の頼れる大人の真似をしながら育つのだと思います。
親の評価や周囲の評価を気にして、それを満たすために必死になる時期があります。
ある程度成長すると今度は、100%信じられなくても、失敗して痛い目に遭いながらも、自分なりの基準を作って、自分の評価に従って生きようとします。
それは反抗期の力を借りることもあるし、そうでないこともあるかもしれません。
そのスピードやタイミングは人それぞれで、早く自分の基準を自然に持てる人もいれば、自分が生まれた時の親の年齢になっても、自覚なく親に頼ったままの人もいるのだと思います。
ある程度自分の基準を持った後でも、変わらず周りの声への敏感になりすぎてしまい、生涯通して辛い思いをする人も多くいると思います。
チャーリイは少なくとも、この通過儀礼を短い時間の中できちんとくぐり抜けたと思うのです。
自分自身が未だに周りの自分に対する評価に怯えている時があると感じるからこそ、自分が納得するまで逃げずに両親と向き合ったチャーリイはすごいと思いました。
一つ残念に思うとすれば、アルジャーノン以外、本当の意味での友達に出会えなかった気がするところでしょうか。
結局、友達と言うのは、立場に違いがないとお互いに思える相手であって初めて、なれるものなのかもしれないと思いました。
チャーリイの置かれた立場そのものが、友達を作ることを難しくしてしまっていたと思います。
それでも、アルジャーノンのような存在を見出し、その存在のために何かをしたいと思ったことにまた、チャーリイが人生をかけて得た人間性が表れているような気がします。