楽しい努力の仕方 6 ―時間を制限する― <後編>
ただ最初は、時間を測ることに抵抗感もありました。
どんなに集中していて、気分が乗ってきていたとしても、時間が来ればやめてしまうというのはもったいない気もしたのです。
私がどうやったら良い習慣をつけられるのか、と最初に考え始めたのはもうかれこれ、日本にいた2年前までさかのぼります。
その頃見つけた本に、スティーブン・ガイズさんの「小さな習慣」があります。
これにも、あえて上限を決めないことが大事とあります。
例えば、毎日腹筋をする、という習慣をつけたいときに、多くの人は、20回腹筋をする、など、高めの目標を設定してしまう、といいます。
でも、本当は、毎日1回腹筋をするというような最低限の目標にした方が良い、その上で最終的に何回やるかは自分のその時の気分に従って決めるのが良い、というのがスティーブンさんの主張です。
人間、始めるまでのハードルが高いもので、そこを乗り越えると、惰性に従ってむしろ今やっていることを続ける方が楽になるので、低い目標にしたとしても、なんだかんだやりすぎてしまうものだ、という発想に基づいています。
そして、実際にスティーブンさんはこの方法でやって、たった1回の腹筋がどんどんエスカレート(?)し、ジム通いするほど自分の体を鍛えることが楽しくなったそうです。
ちなみに、スティーブンさんは、毎日やることは1つに絞ることを想定しています。
2つ以上目標を設けることも不可能ではない、というようなことも書かれていますが、何かとても自信のなさそうな曖昧な書きぶりだったように記憶しています。
当時、なるほど!と思った私は早速同じ腹筋で試してみました。
そして結局、割とすぐやめてしまいました。
どうしてやめてしまったんだろうと考えた時、何日かやるうちに、「1回とか言っておきながらやっぱり今日も結構やってしまう」自分を想像するようになっていたことに気づきました。
もちろん、本当に1回しかやらなかった日もあったのですが、それでも平均的には何十回かやっているだろう、今日も十分その可能性がある、と冷静に自分を見てしまったのです。
そうして、毎日始める前に、今夜中の12時だから、これからやり出すと寝られるのはいつになるんだろう、と考えるようになってしまいました。
(当時私はよく残業していて、平日にやる場合、いろいろ他のことを済ませて寝る直前、というのがいつもの流れでした。)
その結果、今日はもう12時で、最近寝不足だから明日のためにやりたくないなどと、新たに出てきたもっともらしい理由に負けてしまう日が増え、結局習慣にならずに終わってしまったのでした。
時間を測るか迷った時、この時の反省を思い出して、結局測ることにしました。
3か月の試行錯誤の結果、1行動1回あたり、短くて10分、長くて25分という具合に落ち着いています。
今なら、もしまた残業だらけの日常がやってきたとしても、続けたいことを続けられる自信があります。
これまでの自分の生活の中で、最高に忙しい日々を思い出しても、10分の隙間時間なら、絶対にあったと思うからです。
時間を測ると、終わりが見えます。
それによって、気乗りしない時でも、気軽に、まずはやってみようと思えるというのが良いところです。
もっとやりたいときには、終わった後で3分くらい時間を置いたり、別のことを挟んだりして、時間を分けて続ければ良く、そんなに問題にはなりませんでした。
もっとやりたいのにやり続けるのをやめるときはたいてい、その日の予定が詰まっていて、続けられないことに気づいたときです。
時間を切ることで、今何時だろう、今日はあとどれくらい時間が残されているんだろうと意識するようになったと思います。
好きなことを時間で切るのは最初は大変ですが、何度かやっているうちに、だらだらしてしまった時自分に対して何となく後ろめたいような気持ちになるのを、自覚するようになります。
そしてだんだん、逆にきちんと時間で終われたとき、スッキリした、自分を誇れるような気持ちを感じられるようになってきます。
今でも、時間を超過してしまうときは多々ありますが、一日の制限時間と自分がその日にやりたいと思っていることを意識すると、そうそうひどい時間の使い方にはなりません。
また、どんなに超過しても、時間を超過した、という意識があるので、時間を測らずに始めるよりは、実際短く終われるものです。
だらだらしてしまう自分を責めることよりも、むしろ大事なのは、だらだらした後で、冷静に自分自身を思い返し、あの時だらだらしたな、本当はそうしたいわけじゃなかったな、と意識することだと思います。
そうしていれば、自分が望まない方向には行動しないようになる気がします。
もしそれで行動が変わらないなら、自分が本心で納得していない、そのこと自体に本当は価値を置いていないということだと思います。
例えば他にやりたいことがなくて時間が余った時などは、多少長引いてもいい状態なので、区切りがつくまでやってしまったって良いと思っています。
最終的に1日という大きな枠に、やりたいと思ったことを全部入れる、それさえできていれば問題ない、という感じです。
それはそれで、自分なりに時間の使い方をコントロールしていることだと考えています。
そもそも何分やるかどうかだって、最初に自分で適当に決めたのですから、その時間自体に特段大きな意味があるわけではありません。
きっかりに終われれば、それはそれで気持ちが良いものですが、自分がそれを望まないし、そうする必要もない状況なら、別の望むやり方で、「時間を目途に」自分の行動をコントロールすることが重要だ、と割り切っています。
これは、例えば、毎日続けると言ったって、旅行中はどうするの、とか、どうしてもそれどころじゃない状況に置かれたとき(他にもっと優先するべきことができたとき)はどうするの、という話でも同じです。
そもそも毎日、と決めたのだって絶対ではありません。
2日に1回ということにしたっていいし、1週間に1回でもいい。
途中で変更したっていい。
大事なのは、一時の感情に流されないで、真剣に考えた末の自分の判断に従っているかどうかだと思うようにしています。
旅行中は、旅行中でしか得られないことを目いっぱい楽しむことに集中するんだ、そのために今やっていることは一回休む、と決断するなら、それはそれで、自分の時間の過ごし方を時間で区切って、自分で決めたことになります。
これは、ただ単にサボっている状態とは全然違うと思っています。
サボっているというのは、自分の望む方向が分かっていながら、その方向に自分の舵を切らないことを指します。
そんなふうに考えると、時間を測るからと言ってむやみに肩に力が入りすぎず、柔軟に、気持ちを楽にして過ごすことができることに気づきました。