たまのおいとま

めぐりあわせのおかげで海外でしばしおいとまいただくことになった会社員の冒険と発見と悟り

たま、帰る <中編>

さて、たま一時帰国の感想、途中シリアスな妄想に思いをはせてみた(?)中編です。

 

⑤たくさん人がいるのに、みんなが自分に集中している

人はとにかく、本当に多いですね。大都市だからかもしれませんが・・・

でもそんなに多いにも関わらず、満員電車に涼しい顔で乗れるのは、

それぞれが常に自分の中に関心を向けているからなのだなあ、と思いました。

 

スマホをいじるにしても、物思いにふけるにしても、読書をするにしても、みんな電車の中に個人の空間を作っていて、空間を共有しているわけではありません。

私自身もそうです。

 

同時にその分だけ、たまにそのバリアを破って侵入してきたものに対しての視線が厳しいのかもしれません。

ラグビーワールドカップの時期に日本にやってきた外国の方の車内マナー違反が、日本のSNSでめちゃくちゃに叩かれていて、

そのあまりの激しさを疑問視する海外メディアの記事を読んだことを思い出します。

 

もちろん、個人の空間を作ること自体に良い悪いがあるわけではありませんが、そういう傾向があり、

それがどの国でも当たり前なことではないと気づきました。

 

このことは次の項目につながることでもあります。

 

⑥危険を感じるのは、物理的にではなく、精神面

海外にいると、言葉や暗黙の了解が分からないので、外にいるときは自然と、全神経を使ってまわりの危険を察知しようとしている気がします。

ない第六感を振り絞っていた心持ちのまま日本で電車に乗った結果、そんなことを思いました。(注:あくまで、たまの個人的な感想です)

 

日本にいて危険を感じる瞬間(ものを盗まれそう、凶器を持っていそう、攻撃意思がありそうなど)はほとんどなかったのですが、

どこかイライラしている様子だったり、

ひたすら何か独り言をつぶやいていたり、低い声で謎にずっと鼻歌を歌っていたり、

などには、よく出会ったような気がします。

 

あんまりこちらで電車に乗っていて、同じような人は見覚えがないように思うのは、やっぱり気のせいでしょうか・・・

 

あとは、たまたま、帰国中会った友達に、職場で実際にあったモラハラや、ストーカー行為のこと、それらの結果、ストレスで職場に出てこられなくなった人の話を聞いたので、それに影響されている部分も多少あるかと思います。

 

でも、モラハラもストーカーも鬱も、自分のことにとらわれすぎたり、追い込みすぎたりしていることが根底にある気がして、車内で見た人たちにも通ずるところがあると思うのは少し乱暴すぎるでしょうか?

 

そういう社会の中のストレスが、日本ならではのものなのかは分かりませんが、

日本の社会で最近話題になる問題の奥には、共通してそういう息苦しさがあるように思いました。

 

もちろん、これは、そういう息苦しい世の中になってきた、と考えることもできるし、

そういう息苦しさは今までもあったけれど、それへの耐性が弱くなってきた、と考えることもできます。

 

 

前編の④、後編の⑤、⑥と考えてきたとき、それらが何となく私の頭の中ではつながって見えました。

 

日本では目に映るほとんど全てに整っていることが求められすぎていて、

でも、それは、日本人が特別有能だとか、誰かものすごい人がいるからではなく、

たくさんの普通の人の小さな努力や頑張りや忍耐の積み重ねで支えられていて、

それは、一方で、そのストレスに耐えかねた人や、自分の世界を作ってストレスから逃れようとする人を作り出していて、

社会で起こる様々なトラブルに結び付いている、というような感じです。

 

ここまで考えてもう一つ思い出したのが、学校の友達に聞かれて、全然答えられなかったこの質問です。

「日本人ってなんでそんなにクリエイティブなの?」

 

おお、クリエイティブ・・・そんな言葉はシリコンバレーの形容詞だと思っていたよ・・・

そもそも日本人がクリエイティブという感覚がありませんでした。

 

でも、その子はアニメや漫画、ゲームなど、突拍子もない設定の物語や世界観が、次から次へと生まれていく様子を言っていて、

そう考えると、確かに、クリエイティブという表現はしっくりくるのだ、と思いました。

また、それはどこの国でもあることではないのだ、と初めて気づきました。

 

このクリエイティブさがどこから来るのかという問いの答えをずっと思いつけずにいたのですが、

さっき思いついた構図の最後の結末が、

悪い方向ではなく、良い方向に向かったとしたら、と考えると、

なんだか急にしっくりきてしまったのです。

 

整いすぎた世の中への反動が、ここではないどこかを求めた結果、

フィクションの世界では爆発的な想像力となって、強い武器になるのでは―

 

とはいえ、所詮ちらっと思いついた妄想で、今はまだ答えと決め込んではいけないのだと思います。

これからもっと見聞を広げて、もっといろんな角度から考えていきたいと思います。

 

クリエイティブさが日本の強みなら、それを生み出す仕組みを知っておかないと、いざ失ったときに取り戻せないと思うからです。

 

次回は、もっと前向きなやつですのでお楽しみに(?)