楽しい努力の仕方2
語学講座に通ってみて、一番驚いたのは、授業が楽しいということです。
週5日、毎日3時間も通うので、だんだん勉強するのが苦になってきてしまうのでは、と思っていましたが、そんなことはありませんでした。
この授業がどうして楽しいのかを考えれば、努力を続けるコツが自ずと見えてきそうです。
まず一つは、授業が会話みたいに進むからだと思います。
これまで受けてきた日本の学校や塾の授業とは全然違って、授業中に生徒からの質問がたくさん出ます。
生徒は先生の話を遮るのを気にしないですし、
驚くことに、先生もまた、生徒が質問したからと言ってすぐ答えません笑
ひとしきり説明を終えてから、手を挙げている生徒を好きなタイミングで指します。
そのことがまた、生徒が質問しやすい環境を作っている気がします。
私は、何かを面白いと思う気持ちは、予想が外れることで大きくなると思います。
小説やドラマでも、予想していたことと全く違う展開になったときに面白いと感じますし、
漫才でも、普通とは全然違うことを言ったりやったりすることが面白いという気持ちを爆発させ、笑いを生み出します。
授業も同じで、先生が教科書の内容を説明するのは「普通」の範囲内で、これだけでも、授業の内容に興味を持っていれば勉強になりますし、
先生の説明の仕方次第で面白くもなります。
でも、それだけだと面白さには限界があって、それを突破するのが、生徒からの質問なのだと思います。
生徒がどんな質問をするのか、先生さえも予想していない中で、
何かしら質問が出て、先生もまた、その場で考えて返事をします。
たとえ同じ文法項目を習う授業だったとしても、100のクラスがあれば100通りの授業が生まれます。
よく、落語や演劇などで、お客さんの良しあしがその舞台の良しあしを決めると言われることがありますが、それと似た感覚かもしれません。
授業は先生が作るものなのではなく、先生と生徒で作るものなのです。
こうして、対話の中で授業そのものが出来上がっていくのを聞いているのが、
何よりとても面白いのです。
思えば、言葉を話すこと自体も同じです。
いつだって、質問が会話を作ります。
会話をするのが、異なる人格を持つ人同士であればあるほど、
どんな方向に話が展開していくか予想できず、
それが面白さを生み出して、飽きずにいられるのだと思います。
一人でするゲームよりも、大勢でするゲームが楽しいのも同じ原理ですね。
昔、大学の先輩に、一人でするゲームはいつか飽きてしまうけど、
ネット上で知らない人と対戦したり冒険したりするゲームは寝るのも忘れて夢中になり、全然飽きないと聞いたことがあります。
そのときはそんなこともあるのかな、と思った程度でしたが、今では納得です。
やり出さないように気をつけないと笑