本の話3「「読まなくてもいい本」の読書案内」 <前編>
今日紹介したい本は橘玲さんの「「読まなくてもいい本」の読書案内―知の最前線を5日間で探検する」です。
なのですが、この話の前にしなければならない話があって、今日はそちらの話です。
吉野源三郎さんの「君たちはどう生きるか」は知っていますか。
ちょっと前に、メガネの、いかにもガリ勉ぽい(偏見)男の子の表紙で、本屋で大量に平積みされていたので、見たことがある方も多いのではないかと思います。
私は正直に言うと、少しあの表紙は苦手で(何となく、意識高い系の読み物、という感じを受けてしまった・・・)でも何が書いてあるのか気になって、文庫の方を買いました。
この本は、戦時中の日本で書かれた本です。
戦時下で、あらゆる本の出版が制限を受けたり、自粛したりする中で、こういう世の中だからこそ、どうしても若い世代に伝えたいことがある、と著者が筆をとった本です。
その中に出てくる好きな言葉に、「骨を折る以上は、人類が今日まで進歩して来て、まだ解くことが出来ないでいる問題のために、骨を折らなくてはうそだ」(p95)というのがあります。
これ自体は確か、別の場面で出てくる言葉だったと思うのですが、私はこの言葉を読むと、始まりの場面を思い出します。
それは、主人公の男の子がデパートの屋上から地面で動く人や空の雲を見て、空を飛ぶ鳥から見れば、自分は世の中の流れの中の、ほんの小さな一部だ、と感じた場面です。(細かいところはちょっとうろ覚えかもしれない)
男の子の中でこの時、自分から見える世界、という視点から、もっと大きなものから見られる自分、という視点に変わったんです。
(ちなみにこれにより、自己認識が天動説から地動説に変わった→コペルニクス的転回だ!すごいよ、コペル君!→男の子はコペル君と呼ばれることになる)
私は、なぜかそこで、センター試験の会場を下見に行く途中で見たコンクリートの地面を思い出しました←
何の変哲もない、コンクリートです。道の端っこに大概ある、段差のやつ。
これ↓
道を歩きながら下ばかり見てたら、なぜか突然、このコンクリートも誰かがここに置いたんだ、と思ったんです。
そう思って周りを見ると、石垣のレンガも、アスファルトも、建物も、全部私より前に大人になった誰かが、積んだり、作ったりしたものなんだな、と思えてきました。
積んだり、作ったりするには、図面を書いた誰かがいて、この地区に道路を敷こうと思った誰かがいて、そもそもアスファルトやレンガを発明した誰かがいて、それを作るための工場を作った誰かがいて、そのための資金を出した誰かがいて、・・・とどんどんつながっていって、そもそもこの地域に名前がついたとき、荒れ地だったとき、日本という国がなかったとき、と太古の昔まで一気にタイムスリップしました。
しまいには、道すがらの全てのものを見て感動する、という謎の精神状態になりました笑
(たぶん、私がコペル君のシーンを読んでピンと来なかったように、これを読んだ誰かもピンと来ないだろうなあ・・・上手く表現できなくて申し訳ない。)
とにかく、このとき、自分が生まれる前の人たちの成果の上に(物理的にも!)私は今立っている、と思えたんです。
「君たちはどう生きるか」を読んで、これを思い出したと同時に、さっき挙げた言葉が心にしみこんできました。
骨を折る以上は、人類が今日まで進歩して来て、まだ解くことが出来ないでいる問題のために、骨を折らなくてはうそだ
その通りだ!おー!
って、あれ?でも現代社会の「今日までの進歩」ってどこよ?
それに一つの解答を示してくれたのが、これから紹介する本です。
(前置きだけで終わる新手の本紹介) つづく