たま、帰る <後編>
たま一時帰国の感想、最終回です。
⑦短期間でも少しずついろいろ変わってきている
オリンピックのせいもあるのか、電車の車両が新しくなっているのをよく見かけました。
そして、その車窓からは新しい競技場が見えたり、駅が綺麗になってたり、渋谷に謎の面白いデザインのビルが建ってたり、その他もろもろ建設ラッシュだったり・・・それがハードの面での変化です。
でもソフトの面でも変化を感じました。
それを感じたのは電車の中で、サラリーマンの人が働き方改革の「もやっと」について話しているのを聞いたときです。
その人の話し方は、愚痴ではなく、これからどうしたらいいのかと真剣に悩んでいるように聞こえました。
それを聞いたとき、私はなんだかすごく嬉しくなりました。
もちろん、私が感じた通りに、本当にその人が、それを愚痴で終わらせずに考えたことを行動に移すかどうかは分かりません。
でも、ちゃんと行動に移っているとするなら、
その人こそが、そしてそういう人が普通に電車の中にふらっといることこそが、
私の思う、誇るべき日本人像・日本の社会像だと思ったからです。
もやもやする、というのは、
より良くしたいともがいているのに、なんだか上手くいかない、原因も分からないという時の状態だと思います。
愚痴には、この「苦悩」がありません。
ただ現状の問題点を吐き出すだけです。
この二つは厳格に区別する必要があると思っています。
そして重要なのは、それを思っているのが政治家などではなく、社会的な力は相対的には小さいかもしれない一市民だということです。
私は、この、名もなき一人ひとりが、より良くしたいという気持ちを持って、自分こそがやらなきゃと、たとえ社会的影響力の小さなことでも、前へ向けて行動できることが、世界で見ても珍しい、日本の強みだと思います。
そして、このことが実際に、これまでの日本の変化や進歩、発展を生み出してきたと思いますし、これからも生み出していくのだと思います。
江戸でも明治でも大正でも昭和でも平成でも、歴史上もやっとしてそうだった人に一人でも心当たりはありませんか?
見つけようと思えば証拠になるものはいくらでもあります。
(そういう人を見つけられるような良い本を読むと、とても楽しいですよ。
私はそれがすごく好きです。)
前編で書いた④のことにもつながりますが、全国どこへ行っても、どの会社の商品を見ても、「平均点」がこれほどまでに高い国は珍しいと思います。
落し物が帰ってくるのもそうです。
個々の人に平均的に、より良く生きたいというモチベーションがあるからです。
語学学校の友達に、日本の果物はなぜあんなに甘いのか、と聞かれましたが、それも同じだと思います。
それは、農家の方々が品種改良の途方もない手間をかけているからであり、
そこまでの高みを地道に目指す人たちの存在が、世界の当たり前ではないからです。
だからこそ、こういう、より良くしたいという思いの副産物である「もやっと」が常に社会に溢れている限り、どれだけ現状が苦しかったとしても、日本は大丈夫なのだと思っています。
そして一方で、みんなが楽な方向に流れて、「もやっと」がなくなり、社会に過信があふれたとき、決まって大きな失敗をやらかしてきたようにも思います。
いくつか簡単に思い当たることがありませんか?
こうして、長くなりましたが、記念すべき人生第1回一時帰国(?)はこんなことを思いながら終えました。
ここも鼻につく、この表現も嫌、とあれこれやっていたら、校正に校正を重ねて
だいぶ時間がかかってしまいました汗
でも、なんとか今の自分なりに納得のいく文章になったと思います。
こうしてみると、やっぱり仕事を休んで海外で暮らす決断をして良かったと思います。
まだまだですが、少し考え方が立体的になってきている気がします。
最近、試行錯誤の結果、毎日少しずつでも文章を書く癖をつけることにしました。
年末年始にかけて試していた、書きたいときに書く、という方法だと
簡単に他のことに優先順位を奪われてしまうことが分かり、書きたいことが書けずに頭の中にたまっていくのも嫌だなと思い始めたからです。
前より高い頻度で更新できたらな、と思いますので、気が向いたらまた覗きに来てください!