たまのおいとま

めぐりあわせのおかげで海外でしばしおいとまいただくことになった会社員の冒険と発見と悟り

ボランティアの話 ⑪

人のため、と言いながら、実際は自分の自己満足のために働いているようなものでしたから、誰かに求められているものよりも、自分が求めているものを作ってしまっていたと思います。

それを評価されなくても当然と言えば当然です。

 

結局、人間なんてものは、純粋に誰かのために働くことになんて耐えられないのだと思います。

耐えられないから、無意識に自分の満足する方向に引っ張られるし、見返りを求める気がします。

 

だからこそ、逆転の発想で、誰よりもまず、自分を満たさなければいけないのだと思います。

自分を満たしきって、満ち溢れた分には執着しないで済むからです。

 

それで初めて、純粋に誰かのために何かを無償であげることができるようになるのだと思います。

 

自分の身を削って疲れ果てることもないから、そういう活動は長く続きます。

持続可能な、息の長い支援ができることが、結局は一番大事なのです。

 

よく、家庭は労働力の再生産の場、と言いますが、本当にその通りだと思います。

家庭で再生産できないと、生活はやがて壊れていくし、好むと好まざるとに関わらず、無意識に別の場所に癒しを求めて行動してしまうものだと思います。

 

その意味で前の私は職場で労働力を再生産していたのかも。。(生み出した分よりも出ていく方が多くて結局疲れ果てたけど。。)

 

本当は、仕事でやっていること自体に充実感を感じて自分を満たして、そこから満ち溢れたものが仕事の成果になればそれが理想です。

そして生み出した分より無駄に出さないのも大切です。

                                                                                                             つづく