本の話「鹿の王」②
でも香港に来て、それが全ていったん消えて、身一つになったとき、日本にいた頃には表面化しなかった、自分のふがいなさがたくさん見えてきました。
今から思えば、家事にしても海外生活にしても、今まで経験値が低かったことをやろうとするのですから、失敗して当たり前だし、上手く行かなくても落ち込むことは全くなかったのですが、その頃の私はそうではありませんでした。
日本にいた頃を何度も懐かしく思い出しましたし、仕事から離れているのに、仕事に戻ったらこんなことをしたい、と考えたり、今も働いている同期や後輩の話を聞いて自分にない経験を持っているのを見つけるとねたんだり、ということを繰り返していました。
そういう、「ないない探し」に追われていた私は、本当に自分が生きている意味を見失いかけていました。
自分が自分に課した人生の目標みたいなものがあって(そもそも、課す、というのが今にして思うと変なのですが)、そこから逆算すると今の自分はふがいなくて、それが我慢できなくて心配で、焦ってまた自分を追い詰めて、そういうことばかりしていました。
別に具体的な目標があるわけではありませんでしたが、自分が自分に満足できないまま死ぬのは嫌だという気持ちがあって、そのためにできることを最大限やらないとと常に思っていました。
それができないなら私の生きる意味ってなんなんだろう、とも思っていました。
「鹿の王」が描いているのは、コロナよりも圧倒的に致死率の高い感染症と戦う人々の話です。
ファンタジーのような世界観なので、それ自体も読んでいて想像力を掻き立てるような、豊かなイメージを持たせてくれる作品です。
本の表紙の絵が美しいのに惹かれて読んだのですが、コロナという時代背景にもリンクして、最後まで引き込まれるように読みました。
つづく