完璧主義の出口 ⑩
ブログもある程度続いていたのに、ある時語学学校での友達との間で、大きく自信をなくす出来事があって、それを通して気づいたことを書こうとする中で、自分の至らない部分を直視するのがあまりに苦しくて、そもそも、まだまだ整理も何も全然できていなくて、ぱったり書くのをやめてしまったことも、思い出しました。
前に、「楽しい努力の仕方」でも書きましたが、どうやったら自分の楽しいとか嬉しいとか、興味があるという気持ちを維持したまま、日々の小さな努力を重ねられるんだろう、そんなこと、どうしてあり得るんだろう、と思い続けていました。
あれも結局、「楽しい努力の仕方」の最後に書いていて、上手く行っているかも!と思った方法も、しばらくしてまた鬱状態のようになり、失敗していました。
(そうなのです、だからあの時書いた文章の一つ一つの考え方が間違っているとは思いませんが、結論としてはそれだけで解決することはできなかったことをここに書いておきます。)
努力する自分に疲れて、こんなんで香港に住んでいた、と言えるのか!といきり立ったところで、じゃあお店を調べたり、出かける計画を立てたり、そういう努力をする気力も、もう残っていませんでした。
師匠に出会った頃はそういう時でした。
目的に向かってだあっと走るのが私なのに、目的がなくなって、ピンと張っていた糸が切れたように毎日フラフラして、次に何をするのか、ご飯に何を作るのか、どの材料を買うのかすら悩んで、自分の中に軸や基準がなくて些細なことも含めて全然何にも決められない、それでもやっとのことで語学学校だけは通っている、そんな状態でした。
つづく