たまのおいとま

めぐりあわせのおかげで海外でしばしおいとまいただくことになった会社員の冒険と発見と悟り

断捨離の話

それは日本を出発する前の話―

たまは、捨てて捨てて捨てまくっていた!!

 

初めての海外引越ということで、何が怖いかというと、荷物の上限容量が怖いのです・・・!

あと、入れてはいけないものを入れていたパターンも怖い・・・

 

いろいろ妄想しましたとも。

運送業者の方が来て、いざ段ボールに入れてみたら、え、これ、伺ってるトランクルームの容量超えてますよ?月〇〇円追加です。ってなるとか・・・・!!!

あと、船に乗せる前のセーフティチェックで、え、これ条約の第〇条にある植物を含んでいるのでだめですね、などと引っかかって実家に返送されてくるとか・・・!!!

 

果たしてそんなことになったところでそういう流れになるのかどうかも疑問ですが、とにかく想定外のことにならないようにという一心で、ものを捨てまくりました。

 

調理器具などの共有備品も私の担当だったとはいえ、出るわ出るわ、それはもうあらゆるところから必要?という感じのものが出てきて、まる1週間かけてやっと片づけが終わりました。

 

毎日朝日が昇り、気づけば夕暮れが差し込んできて、夜になり、それでも粛々と自分がこれまで買い溜め、もらい溜めてきたものたちと向き合っていると、自分とひたすら向き合う修行をしているような気持ちになりました。

 

正直逃げたい、でも逃げられないというか間に合わないという焦りと、ほこりのせいだか疲れのせいだか分からない夏風邪の咳とで、どんどん追い詰められました。

 

ものの1日ほどで身の回りのものを片付けてさらっと出て行った夫を思い出すたびに、なんで私はあんな風に片づけられないんだろうと落ち込み、それでも、(もうほとんど歯を食いしばって)ものに向き合っているうちに悟りました。

 

夫と違って私は今まで、自分の持ちものに責任を持ってこなかったということに。

 

買ったけど上手く使えなかったもの、もらったけど正直いらなかったものを、見えないところに置いて忘れ、

電化製品を買ったら買ったで、その手入れをせず、

飽きたものはそのまま放置し、

結局自分の都合の良いものだけを見て、その中で生きていました。

 

いくら見て見ぬふりをしても、結局賞味期限切れになったり、使い残したことに罪悪感を持ちながら捨てたりするのは自分のはずです。

でも、そういう処理は全部、見兼ねた母や夫にやってもらったり、教えてもらって気づく程度で、自覚がなかったのではないか、と思えてきました。

 

そう思って振り返ると、もう走馬灯のように、あてはまる記憶がたくさん蘇ってきて、心底自分が嫌になりました。しかもそういう記憶を、これまで自分は全然重視していなかった・・・

 

本にも、手芸キットにも、家電にも、家自体にも、本当は賞味期限があることを、恥ずかしながらその時初めて痛感しました。

 

前の部署の仕事に関連する本、

ほぼ手を付けておらず、現時点では人生を通して消費する可能性の薄い手芸キット、

本体はまだ使えるのに、消耗部品が製造中止になって使えなくなった家電、

手入れをしなかったばかりに取れなくなった油汚れやほこり―

 

賞味期限内の、そのものが一番良い状態のときに使っていくことで、自分の身になり血になっていくはずのものだったものが、たくさん埃にまみれてくすんでいました。

それらを捨てながら、もう絶対こんなことはしないと心に決めました。

 

まわりのものの賞味期限を全部気にかけるなら、持てるものの量は自ずと少なくなるはずで、たぶん私は、まだまだ実力に反してものを持ちすぎていると思います。

手元に残したものを生かすか殺すかは、これから試されていくでしょう。

 

そしてもう一つ、片づけの過程で、いただいて使わなかったものを思い切って捨てた後、なんと自分が友達に買って渡しそびれた誕生日プレゼントも出てきて、その二つの中身を比較したとき、自分がいかに無責任に人へのプレゼントを選んでいたかと、これも頭が痛いくらい反省しました。

 

人にプレゼントする時は、自分が使うものを買う時と同じように賞味期限を考えようと思いました。

かわいいだけで買ってはだめで、使うことをリアルに意識しないといけないと気づきました。

 

ただ、実際に誰が何を使うかは分からないし、その人が私のように賞味期限を無視するタイプであったなら、どれだけ最善を尽くしても、ものが生きるプレゼント選びは無理なのだと思います。

 

その時は、こんまりさん(「人生がときめく片づけの魔法」の著者)の教え通り、もらった・渡したことでそのものは役割を果たしたと考えて、祈りを捧げつつ捨てるしかないということなのだと思います。

 

大変だったのは海外引越、というよりも、背水の陣での片づけでしたが、私の今後の人生に、間違いなく生きる経験を得ることができました。