質問のススメ <前編>
今日は、現地語を習い始めて改めて思ったことを書いてみます。
何かを頭に入れたいと思ったときに、
質問をするということが、どれだけ効率の良い方法か、ということです。
私は、新入社員の時に質問しなくて叱られ、悔しさを覚えてからというもの
研修という研修で片っ端から(!?)質問するようにしています。
その結果、今ではすっかり質問するタイプの人、ということになっているらしいです。
でも、多種多様な国籍の人に交じって授業を受けているとやっぱり、
みんな積極的に質問していて、日本との違いを感じます。
そしてその、生徒側の誰かが絶えず何か言葉を発しているという、にぎやかな状況が
授業の気楽さ、楽しさ、学習効率の良さを作っていると思います。
日本では質問をすることが、優等生の証=友達になりたくないタイプとなってしまっている気がして、本当にもったいないと思います。
今日はその凝り固まった考えを打破したいと思います!!🔥🔥
質問をするという行為は、とても頭を使います。
というのは、質問はいつも、何かしら前提となる知識がないとできないことだからです。
例えば、この文はどういう意味ですか?という質問をしたとします。
この質問は、手放しで何かを聞いているように見えますが、そうではありません。
これまでに習った知識を総動員しても、
この文の意味が分からない(または、分かりにくい)ことを
「知っている」
からこそ、質問する意味があります。
どこまでを知っていて、どこからが分からないのかを明確にする行動、
それが質問なのだと思います。
ちなみに、これは人との会話でも同じです。
会話とは、質問と答えの繰り返しである、と最近思っているのですが、
英語で相手が何と言ったのか全く聞き取れないと、返す言葉もなくなることがよくあります。
自分が何を知っているはずで、何を知らないはずなのか分からないので、
何を聞けるか、どういう相槌を打てば良いかも分からないのです。
つまり、質問したり、会話したりするときには、
その場で聞いたことを、猛スピードで頭に入れて猛スピードで出すことが必要になります。
せっかく何かの知識や技術を身につけたくて授業や研修を聞くなら、
もう一歩進んで、質問をした方が絶対良いと思います。
授業で質問しようとすること自体が同時に、
「何かの知識や技術を身につける」ことになるからです。
同じ理由で、言語を学ぶ一番効率的な方法は、会話できるようになることを目指すことだと思います。
文法・単語・リスニング力は、それ自体を目標にするより、会話を一番の目的に据えた時の方が楽に身につけられると思います。
もちろん、質問だけで全部頭に入るわけではないので、
予習したり、復習したりという努力は必要になりますが、
それらの努力と同じくらい、いやそれ以上に断然効率の良いやり方だと思います。
今になって初めて、授業に出ること自体を評価の対象にできる理由が分かりました。
(質問の回数とか質とかで評価したらもっと良い気はするけど・・・
日本の大学の講義とかでこの評価方式を試して検証してくれる人誰かいないかな)
何かを頭に入れるときに、またすぐに使わなければと思って頭に入れるのか、
特に何も考えずに頭に入れるのか、では効率が違います。
でも、一人で勉強しているときに、これをまた使わなければ、と思いながら頭に入れるのは、よほどの精神力がないとできません。
何としても授業中に質問しなければ、と思って聞いているという、一種の極限状態では、簡単にそれができます。
そして慣れてくると、質問を思いついてしまった以上、その場で聞かないと落ち着かない気持ちになってきます。
授業後に聞けば良いじゃないか、と今までずっと思っていたのですが、
一度授業中に聞いてしまうと、もう戻れません。
授業外に聞くと自分の時間がもったいない気がするし、
授業中に聞いた方が、自分の質問に関連して別の人が質問してくれたりして面白いからです。
その点で、私は今、自由に質問できる環境で学べていて、本当に幸せだと思います。
日本の中学高校大学ではまずできない体験だと思います。
でも、大学の少人数クラスや、留学先での授業、社会人になってからの内外での研修など、質問できる余地のある場面は結構あるのではないでしょうか。
ぜひぜひ、多くの人が試して、面白いと思う人が増えて、いつか日本の授業の風景が変わったらいいのにな、と思います。
と、ここまで熱く語ってきましたが、
質問をすることの効用については良いとして、
そんな勇気ないんだけど、という声にお応えし!(誰も言ってない)
実際にどうやったら質問できるようになれるのかを後編で考えてみようと思います。