楽しい努力の仕方 9 ―優先順位をつける― <後編>
そもそもなぜ時間を減らそうと思ったかというと、そのままの状態では自分が毎日の自分の気持ちに合わせて、次に何をするか、どれだけ時間をかけるか自由に選べないことに気づいたからです。
そのとき私の10時間は、どうしても動かせない現地語の授業3時間の前後に、1つの目標に25分を工夫して詰め込み、休憩をして、日によって運動をするか買い出しに行くかを変えて、掃除をその間にねじ込んで、何とか1日を終えるという感じでした。
入りきらなかったことは休日や18時以降にまわしたり、1週間に1回できれば良いことは別の日に固めて時間を作ったりという工夫で、何とか詰め込んでいました。
要するに決めた内容は何も捨てずに律儀にやっていたのです。
でも、1回ごとの行動の時間が25分で変わらない以上、多少順番を入れ替えたりやることを変えたりしたところで、自分の中でいつ何をどのようにやるのがベスト、というのが出来てきてしまいます。
25分の中身についても、初めこそいろいろ試して考えましたが、時間が経つとこれがベストなはず、と思うものがだいたい決まってきてしまいます。
仮に新しいことをしてみたとして、それで期待したような効果を得られなかったら25分やった意味がなくなる、それは困ると思ってしまうような、気持ちに余裕がない状態でした。
それによって、自分の行動が限定され、飽きる原因になっていたのだと思います。
ということで、まずは時間を減らすことだ、と思い、1つの目標あたり25分かけていた時間を10分に変えました。
現地語はこれまでの授業+25分×2回から、25分×1回にしました。
半分以下の時間に減らすのは現実的に難しいのではないか、と最初思いましたが、やればできました。
あれほど困っていた現地語も、工夫次第で上手くできました。
まず、それぞれの目標で、何が一番大事なのかを考えました。
現地語の場合、私が本当に求めていたのは、最短時間で、現地語で言いたいことを過不足なく伝えられるようになることでした。
一方で、海外にいられる時間は限られているから、成績が悪くて上のクラスに上がれないという状態だけは避けたい、とも思っていました。
でも、良い成績を取れば話せるようになるかというとそうではなく、結局2つの目的を見て、両方やろうとしているから、かかる時間が増えていることに気づきました。
例えば、単語テストがあるから、と思って単語を復習する一方で、テストとは直接関係ない勉強もする、という感じです。
そこで思い切って、成績の方を気にするのをやめて、話せるようになる方だけに目的を絞ってみました。
具体的には、それまで、当日習った単語は、定着させるためと思って、あえて翌日以降に見直すことにしていたのですが、それをやめて当日すぐやることにして、代わりに教科書を音読することにしました。
当日やる分、単語の復習は手ごたえがないくらい簡単に終わります。
正直、今までほど明確に記憶できているか、と言われると分からないし、テストにも多少影響は出ました。
でも、音読は瞬時に単語の意味と音が分からなければ上手くできないので、実際話すときに似た負荷がかかり、出てくる頻度の高い単語なら、話すときに使う感覚を持って覚えられることが増えました。
ふたを開けてみると、テストの点数が落第するほど悪くはなっていないことも分かり、それならいいや、と割り切って、本格的に方法を変えました。
もしここで、テストの点数が落第するほど悪くなっていたら、その時は優先順位について考え直すことになったのだと思います。
でも、よく考えてみると、落第して滞在期間中に習えることの量が減ってしまったとしても、話せるようになっていたとしたら、その方が良いという考え方もできると思います。
良い成績を取ること=話せるようになることではないとのと同じように、習えることの量が多いこと=話せるようになることでもないのだと、今は冷静に分けて考えられるようになりました。
他の目標、例えば英語の場合、短文を英訳する練習をしていたのですが、単純にその量を減らしました。
どうしても時間をかけたいことがあれば、土日にやるようにしました。
分量については、時間に比例してしまうので、減るのは避けられません。
でもその分、質に対して意識が向くようになりました。
この方法じゃなくあの方法の方が、短い時間で今より大きな成果があるんじゃないか、今の10分に意味はあったのか、とよく考えるようになりました。
その結果、様々な方法を気軽に試すようになりました。
使う参考書を変えてみるとか、
ラジオを聞いてみるとか、
これ英語でなんて言うんだろうと思った時に調べてみるとか、
マンションの管理人に会う時は、英語でなんと話すか考えておいて実際話しかけてみるとか、
クラスメートのグループチャットで自分から話を始めてみるとか、
授業中に、ちょっと込み入った質問を頑張って英語で聞いてみるとか・・・
ONE PIECEを友達に勧めたいけどアプリで読めるのは日本語版しかないなあと思って、試しにちょっと英訳してみたこともありました。
実際に友達に見せることはないとしても、日本語について勉強したい人向けに書くとこんな感じかな、とか自分でいろいろ書いているだけで結構面白かったし、本当に自分が伝えたいことを英語にする、という練習になった気がします。
という感じで、あの手この手でこれまでやってきたことを減らしました。
普通に10分で全てを終えると、もう今日はあと何も、やると決めていることがないという状態になります。
そうすると心に余裕ができて、次に何をやるか、どんなふうにやるか考えられるようになりましたし、いくらでも失敗して良い、試しに何かをやってみる時間が生まれました。
自分の記録を振り返ってみて、こういう風にやり方を変えた後、目標にかける時間が減って、休憩にかける時間が増えたかと言うと、変わっていません。
むしろ平均にすると、ちょっと目標にかける時間が増えているような気がします。
目標にかける時間が楽しくなって、休憩するのを忘れそうになることも増えました。
その分、今日は休みたい気分、という時は、せっかく捻出した一日の余り時間でも、全て休憩に回すこともあります。
それが数日続くこともあります。
何にどのくらいの時間をかけるのかも、その一日、その一週間で違いますが、今の私の目線は、1日で調整するのではなく、1週間、1か月、6か月、1年と大きな目で見て、やりたいと思うだけのことができていれば良い、というふうに変わってきています。
そうしているうちに、あれほど自分を追い詰めた3段階目の飽き状態は、どこかへ飛んでいきました。
今は普通に楽しいことが楽しいです。
3段階目の飽き状態を克服する前と後で、私の優先順位に対する考え方はどういうふうに変わったんだろうと考えてみます。
前の私は絶対に譲れないものを多く持ちすぎていたと思います。
優先順位をつけるというのは、絶対に切ってはいけないものが何かを見極め、それ以外のものに順番をつけて、かけられる時間に応じて捨てていくということだと思っていたのですが、ちょっと違った気がします。
欲張りな私は、1位~5位、など挙げてしまうと、最初のやる気があるうちは、その全部を網羅する方法を編み出して、やり始めます。
そんなスーパーな方法は時間がかかるに決まっていて、時間がかかることは毎日できないし、疲れてしまいます。
でも、最初の方では、やる気のおかげで何だかできてしまっていただけに、全部をやることが不可能ではないことを知ってしまって、捨てることがサボることのように思えてきてしまいます。
そんなふうに続けていると、だんだん優先順位1位~5位の全てがごっちゃになって、どれが一番大切なのか分からなくなり、何も減らせなくなってしまうというのがいつもの流れだったと思います。
辛くなって結局1位~5位の全部をすっかりやめてしまうこともよくありました。
もともと、順位をつけるということは、1位以外は全て捨てても良いと覚悟するということのはずです。
そして、基本1位だけの状態にして、2位以下は気分によって付け足す、くらいの気持ちでいなければ、長く続けるのは無理なのだと、やっと腑に落ちた気がします。
そして、各順位に置くものは、全てシンプルな1つの文章に収めます。
現地語の場合、例えば、1位 話せるようになる、2位 良い成績を取る、くらいです。
シンプルというのは、複数の5W1Hを含まないということだと思います。
なぜ、いつ、何を(どちらを)、どのようにという部分がそれぞれ複数あったら、2つ別の順位に分ける必要があります。
「良い成績を取りつつ、話せるようになる」ではだめということです。
こうやって自分がその時間で達成すべきと思うことを1つだけに絞ると、今までやってきたことを捨てるのは簡単でした。
現地語の例のように、どんなに時間に収めるのが難しいように見えたとしても、工夫の仕方次第でどうにでもなるし、逆にそれを考えるのが結構楽しかったりしました。
何より、自分が自由になるのを感じます。
これまで、いろんなことについて、自分で自分を縛ってきたのが嘘みたいに消えていく感じがしました。
そしてこのシンプルであるということが、本当の意味で優先順位を付けられるようになるということなのだと、今は思っています。
もちろん、どうしても1位だけに絞れないことがあって、それが今の生活に余裕をもって入れられる時間に入りきらないこともあると思います。
やりたいことの種類が多い場合も、同じ問題にぶつかります。
私も、今やりたいと思ってやっていることを全部、もとの忙しい会社員生活に持ち込むのは難しいかもしれません。
その時は、自分の24時間を何に割り当てるのか、つまり、仕事や家庭のこと、全部考え合わせて、何をやりたくて、何をやりたくないのか、やると決めたことは、何のためにやるのか、それに最低どのくらいの時間が必要なのかということから考え直すのだろうと思います。
それはそれで、条件が変わっただけで今とやっていることは同じなのだと思います。
今たくさん練習して慣れて、帰ってまた生活に追われそうになっても、自分の時間という意識を見失わないでいたいと思います。
3段階目の飽き状態を乗り越えてから、今もう1か月くらい経ちます。
乗り越えた後の毎日は、ほとんど家にいるのも、コロナで外に出られず友達に会えないのも、毎日授業が3時間あるのも、前と全く変わっていないのに、日々変化に富んで楽しいです。
朝起きると、今日は何をしようかな、と考えてワクワクします。
考えてみると、生きがいというのは、このワクワクなのだと思います。
次に何をしてみよう、何がやりたい、こうやったらどうなるのだろう、そう思い、試し、結果に一喜一憂し、また新しいことを思いつき・・・そうやって最期まで良い意味で金太郎飴みたいな人生を送れたら、それが幸せということなのかな、と思いました。