たまのおいとま

めぐりあわせのおかげで海外でしばしおいとまいただくことになった会社員の冒険と発見と悟り

省略の文化 ③

芝生の話でどうしてこれを思い出したのかというと、日本人のコミュニケーションの暗黙の了解を自覚し、それとは違う世界があることを実感する機会だったからです。

 

日本語のコミュニケーションは、いかにお互い知っている当たり前以外のことを話すか、ということを常に考えている気がします。

 

相手の知っていることを改めて話すことに価値を見出さない文化というか、そういうところがあるのに対し、香港人の会話は、当たり前のことを確認しあうようなところがある気がします。

 

というのもスーパーで買い物をしていたとき、香港人の見知らぬおばさんに、確か広東語で「これ、たっかいわねー」と話しかけられ、「高いねー」(中国語普通話)と答えたらおばさんは満足そうにうなずき、なんだか分からんが会話が成立したということがありました笑

 

残念ながら、私は香港で、中国語の普通話(北京語)の勉強をしていたために、勉強すると混ざってしまう広東語は勉強できずに終わり、広東語で現地の人と会話する機会はほとんどなかったので少ない例ですが、「当たり前のことを確認しあう」のが香港人にとっての会話、と考えると思い当たる節がいろいろありました。

 

日本人同士の会話なら、当たり前のことほど話さず、それ以外のことだけで会話をしている気がします。

だから話すことがないときは結構あるし、雑談をすることへのハードルも高いのではないでしょうか。

 

香港人は見知らぬ人同士でも、そうでない人同士でも、とにかく長々とよく話しています。

たぶん、その会話の中身はそんなになくて、今日も暑いね~、暑いよね~と事実を確認しあう言葉がたくさんある中に、日本人が会話するようなこともたまにある、というような感じがするのです。

                              つづく