省略の文化 ④
エスカレーターの方を指して話すとき、日本人は自然とエスカレーターにいつもはない何かイレギュラーが起きたのだ、だからそれを伝えようとしているのだと思います。
いつもと同じように稼働しているエスカレーターについてはそもそも話題にする必要がないからです。
それに対して、それも含めて言葉のキャッチボールをするというか、エスカレーターあるよ、使ってね、ありがとう、それだけで会話として十分認められているのだと思います。
文字数の限定があるなら、立入禁止、と書くよりも、芝生養生中、と書く方が情報量が多くて、どちらを残すかと言えば、立入禁止、ではなく、それを含んだ芝生養生中、を選ぶのも、ものすごく日本語らしいと思います。
でもそれは、よく言われる、曖昧さを好むということではなくて、相手が知りえない情報、イレギュラーな情報に注目し、重視して、それだけにそぎ落とした会話をしているとも考えられるのではないかと思います。
電車の中も、街中も、香港は日本よりどこかざわざわしていて、常に何かしらの音が聞こえています。
ケータイをマナーモードにしなくても一日中過ごせるような感じです。
そのざわざわを作り出しているのは、別に香港人がおしゃべりだからじゃなくて(いやある意味でおしゃべりなのだが、日本人のおしゃべりな人ほどの中身がない?)当たり前の会話かもしれないと考えるのも、あながち間違いではない気がします。
知り合い同士でいるけど会話しない、ということが日本ほど起こらない気がするからです。
どちらがいいかと言われると難しいですが、たぶんその時の気分で、当たり前の会話がうっとうしく感じることもあれば、当たり前以外を話さないといけない会話が寂しく感じることもあるのだと思います。
どちらにも良さがあって、その両方を体感できたのは幸せなことだったなと思います。
完