たまのおいとま

めぐりあわせのおかげで海外でしばしおいとまいただくことになった会社員の冒険と発見と悟り

本の話「貧困からの自由―世界最大のNGO・BRACとアベッド総裁の軌跡」⑦

おそらくそのためには、正しいモチベーションがあり、素直に学んで成長していくことを評価する組織内の体制があったのだと思います。

そしてそれが、BRAC内だけでなくその外に出て、貧困にあえぐ人々も含んだ形で拡大して展開されていただけなのではないでしょうか。

 

農業や畜産では、バングラデシュではまず何が育てやすくて、どれくらい育てれば元が取れて、きちんと売れる先があるのかというところまで考えた上で、その確立したやり方をそれぞれ関心のある人に研修という形で伝授しました。

 

農業をするのか、畜産をするのか、はたまた保健ワーカーとして働くのか、人々には選択の自由があり、それぞれが選んだものを極めていく先がありました。

 

研修を受けたところで初めて、マイクロクレジットが登場します。

ムハマド・ユヌスマイクロクレジットとの違いは、お金を貸すことが手段の一つだったということだとあります。

 

BRACの場合、まず商流というか、生計を立てるまでの道筋、市場へのアクセスまで確保し、方法・知識を用意して研修の機会を提供した上で、それを実行に移す始まりとして最初の投資のお金を貸し出します。

 

そのお金を使って何頭かの家畜を飼ったり、品種改良された種子を買ったり、家畜に予防接種を打ったりして育て、その収益で最初に借りた資本を返し、今度は利益を使ってさらに多くの家畜を買い、農地を広げ、ということを、それぞれの人の意志で進めていきます。

 

BRACは例えばそのための種子の品種改良センターを作って研究開発し、それでできた種子はBRACの研修プログラムの対象者以外にも売って、それによる収益を得ます。

詳しくは書かれていませんでしたが、BRACも、最初はドナーからの出資を基にそういった研究機関を立てつつ、少しずつ自活していったのではないかと思います。

                            つづく