たまのおいとま

めぐりあわせのおかげで海外でしばしおいとまいただくことになった会社員の冒険と発見と悟り

他人から求められるものと自分に求めるもの ⑧

そうそう、もう一つつながる話があって、ひと昔前の(もしかしたら今もそうかもしれませんが)学歴があり、良い大学に入れば良い会社に行けて、良い未来が保証されているという考え方は、人によってはまったくのでたらめだと思います。

 

そのまやかしは「良い」という言葉にあります。

一般大衆が概ね思う「良い」と自分自身が望む「良い」は、同じ場合も多いかもしれませんが、違う場合もたくさんあるからです。

 

最近周りを見回して思うのは、やっぱり高学歴の人は、高学歴なりの生活、仕事を得るということです。

管理部門の仕事であったり、自分自身が動くというよりは、他の人が動くのをとりまとめる管理職的な業務に早めにつくことも多いです。

 

これもただの偶然ではなく、会社がその職務にあてる人に求めるものが、複雑なことをじっと考える力があることや、冷静な判断能力があることであり、高学歴であれば自ずとその力があり(またはなかったとしても傍目から見てあると示しやすく)、採用されやすいという構造的な因果関係があると思います。

 

学校時代、誘惑がたくさんある中で勉強をし、時間制限がある1回きりの試験のストレス下で結果を残せるのは、この資質があることを端的に示しています。

 

ただ、それには副産物があります。

本来企業が社会的に生き残るのに、もちろんそういう人だけではだめで、営業に出てお客さんを呼び込める人や、新しいアイディアを思いつき、形にできる人も求められていますが、高学歴であるだけで、どれだけ内心ではそれを望んでいたとしても、そういう仕事からは見た目ではじかれてしまうことも多いのです。

 

今受験勉強をしているそこのあなた!(いるのか)

あなたの望む人生に、その学歴は本当に必要ですか?

                              つづく