たまのおいとま

めぐりあわせのおかげで海外でしばしおいとまいただくことになった会社員の冒険と発見と悟り

他人から求められるものと自分に求めるもの ⑥

例えば、先ほど紹介したエピソードでアクアは、嫌々ながらアイのためもあって来た撮影現場で、実力派子役の演技を間近で見ながら、このまま自分がひどい演技をすれば、目も当てられないものになる、と考えます。

 

その状況を避けたいというアクア自身の望みと合わさって初めて、監督の求める通りの演技をする、という行動に行きついたのだと思います。

 

考えればアイも同じかもしれません。

自分の望みとは関係なく、割り切ってアイドルという職業を演じてきて、どこから見たときに可愛く映るべきか、歌や踊りはどうあるべきか、どんな笑顔でほほえむべきか、それを突き詰めた先に、アイドルとして花開いたのは間違いないでしょう。

 

でも、子供を産むという、アイドルとして求められている役割とはおよそかけ離れた暴挙に出ます。

それはアイが施設育ちで家族を知らず、愛情に飢え、本当の愛情を与える対象を求めていたから、アイドルという職業とは別に、一人の人間としてそれを求めたからだったと思います。

 

それが例え、アイドルとして求められているものに反していたとしても、自分の求めるものを貫いたということだと思います。

 

人生ではやっぱりその両方があって、他人から求められるものに染まるべきときと、自分の求めているものを貫くべきときがあり、そしてまたその二つをどうやって両立するか考えるときがあるのだと思います。

アイも、子供を産んだ後もアイドルとして活動することを選び、もっと稼げるようになることがまた、子供のためでもある事実に気づきます。

 

自分の求めるものだけをやっていても、他人から評価されなければ、いつかそれを続けることができなくなる日が来るし、

他人に求められるものだけをやっていても、自分の心が死んでいく。

その2つの塩梅をどこで取り、どこを譲らない線として引くか、そこが人生を生きていく上で、とても大切なのだろうと思います。

                              つづく