本の話「鹿の王」⑥
今私が悩んでいるのは、私が「悩む」という反応をするようなインプットがなされただけ、と考えられるし、誰かとの関係性が悪いのも、その誰かの性格や生き方があって、私の性格や生き方があって、それが「在るように在」った結果、ある出来事が二人の間に起こるべくして起こって、その出来事が脳にインプットされた結果、今の私の嫌な気持ちというアウトプットがある、とも考えられます。
池谷さんが言うように、私には嫌な気持ちになるという自由すら、本当はないのかもしれない。
母親の身体の中で二人の遺伝子を受け継いで作られ、これまでのいろんな経験がインプットされてきた、私の脳に、今の目の前の出来事をインプットした結果、嫌な気持ちというただの「反応」が出ただけ、なのかもしれない。
そのプロセスが複雑すぎて誰にも追えないだけで、本当はただただ、物理的な反応で毎日が出来ているのかもしれない!
この考え方は私にとって目からうろこでしたが、「鹿の王」を読んだ時、何かつながってくるものを感じました。
そうするとますます、私は自分の意志で生きているというよりは、自然界の中で生かされている、という方が正しいのではないかと思えてきます。
ただ一方で、そういうふうに心の負担が軽くなった代わりに、ちょっと人生に対して、一歩引いたというか、やる気のないような気持ちになるかもしれません。
所詮何をどう頑張ったって、自分で自分の人生をどうにかすることはできないのか、という気持ちです。
つづく