本の話「鹿の王」⑤
もちろん、そういう自然の摂理を頭では分かっているものの、私たちは天国でまた会えるとか、生まれ変わって会える気がするとか、空の上で見ているとか、多分そんなの全部大嘘だけど、ただ「在るように在り、消えるように消え」ただけで、それ以上でもそれ以下でもないけれど、やっぱりそう思いたくなるのが人情ではあります。
でも、主人公のp.441の言葉を読んで、そしてこの作品の全体から、その両方の気持ちを持っていていいんだと優しく教えてもらったような気がします。
そして、自分自身がこれからの人生を生きるとなったとき、この考え方がまた力を持ちます。
冒頭に書いたように、私は私のままでは自信がなく、これでいいのかといつも自分に問い続けていたのに対して、別にいい、全く問題ない、という答えを得た気がしました。
だって、所詮私たちは、「在るように在り、消えるように消える」だけなのだから、と。
さっきの細胞の話をもっと拡大していくと、所詮私たちが、自分で考えていると思っていることも、そうなるようにプログラムされているだけかも、と思えます。
池谷裕二さんの「脳には妙なクセがある」に、こんな衝撃を覚えた一節があります。
そもそも私たちは、立派な自由など備わってはいません。脳という自動判定装置に任せておけばよいのですから気楽なものです。もちろん、自動判定装置が正しい反射をしてくれるか否かは、本人が過去にどれほどよい経験をしてきているかに依存しています。だから私は、「よく生きる」ことは「よい経験をする」ことだと考えています。すると「よい癖」がでます。(p.270)
脳内の反応も、全て科学変化の結果でしかなくて、まだまだ未知の部分は多いけれど、おそらく、複雑な反射の仕組みの繰り返しでできている、でもそれは、何か超常現象のようなものではなくて(おそらく)、ただただ、物理的な結果に過ぎない、ということです。
だから、何をインプットしたかでアウトプットが決まるだけ、とも思えるのです。
つづく