たまのおいとま

めぐりあわせのおかげで海外でしばしおいとまいただくことになった会社員の冒険と発見と悟り

完璧主義の出口 ⑫

その成功の数があまりにも多いから、師匠はやっぱりついている人なんだ、とか、やっぱり人とは違うセンスを持っているんだ、と私は思い込んでいましたが、長い時間を一緒に過ごして、そういうわけではないのではないか、と思い始めたのです。

 

師匠が持っている、たくさんの質の高い情報の背景には、その何倍もの数の失敗があって、挑戦があって、好奇心がある、ということに気づきました。

 

私が未熟なのは、私の努力が足りないから、ダメな自分を直視できていないからではない。

そうではなくて、ちょっと自分の心が動いたことを、一つ残らず経験しようとしないからだ、と気づきました。

 

その頃の私は、雑誌を見ていて、あ、このレストラン、良さそうだな、と思っても、街を歩いていて、このお店何を売っているんだろう、と思っても、いろんなことを言い訳にして行動するのをやめていました。

 

写真は美味しそうに見えるけど、この値段に見合うほどじゃないんじゃないかな、とか、どうせ普通のスーパーでしょ、とか、そうやって、実際にレストランに行って食べてみたり、中に入って売っているものを眺めてみたり、そういうことをしないでいました。

 

十中八九成功すると思わないことは行動に移せなかった。でも、そんな自分の勝手な予想の精度を過信しすぎていました。

成功するか失敗するかなんて、やってみないと最後まで分からない。

それを師匠は体現していました。

 

失敗したとしても、失敗だったという情報を得られるし、何か命を脅かすような危険なことでない限りは、失うものは本当はあまりない。

本当に気を付けないといけないのは、取り返しがつかないような損失がないかというだけなのに、案外そういう基準では心配していない自分もいたりして、気にするべきポイントがずれていたのだということに気づきました。

                               つづく