たまのおいとま

めぐりあわせのおかげで海外でしばしおいとまいただくことになった会社員の冒険と発見と悟り

本の話「貧困からの自由―世界最大のNGO・BRACとアベッド総裁の軌跡」⑧

ただ、完全にドナーからの支援から脱却できそうな今でも、そうしたドナーや外部の意見を聞いたり、外に結果を公表する機会を得たり、またフィードバックを得る機会として、ドナーとの関係性は維持しています。それが20%を自己資金にしきらない理由だと思います。

 

そうして、常にBRACは人を育て、その人たちの意志で行動できる場所を作り、かつ、その行動が失敗に終わらないようにする支援を、ボトルネックを一つ一つ取り除くようにして進めていった結果、規模がどんどん拡大し、純粋な収益が稼ぎ出せたのだと思います。

 

平凡の積み重ねが非凡を作る、というのは確かにその通りで、BRACの活動を一言で表すことの難しさを少しは書き表せたでしょうか。

じゃあどうしてこの同じことが他の組織やNGOではできず、何に気を付ければこんなに正常なPDCAサイクルが回る組織が作れるのか、まだ分からない部分はあります。

 

BRACについて書いた本は、特に日本語は少ないようですが、あきらめずに探して読み続けていきたいと思います。

また何かいいものを見つけたら書きますね。

                               完

本の話「貧困からの自由―世界最大のNGO・BRACとアベッド総裁の軌跡」⑦

おそらくそのためには、正しいモチベーションがあり、素直に学んで成長していくことを評価する組織内の体制があったのだと思います。

そしてそれが、BRAC内だけでなくその外に出て、貧困にあえぐ人々も含んだ形で拡大して展開されていただけなのではないでしょうか。

 

農業や畜産では、バングラデシュではまず何が育てやすくて、どれくらい育てれば元が取れて、きちんと売れる先があるのかというところまで考えた上で、その確立したやり方をそれぞれ関心のある人に研修という形で伝授しました。

 

農業をするのか、畜産をするのか、はたまた保健ワーカーとして働くのか、人々には選択の自由があり、それぞれが選んだものを極めていく先がありました。

 

研修を受けたところで初めて、マイクロクレジットが登場します。

ムハマド・ユヌスマイクロクレジットとの違いは、お金を貸すことが手段の一つだったということだとあります。

 

BRACの場合、まず商流というか、生計を立てるまでの道筋、市場へのアクセスまで確保し、方法・知識を用意して研修の機会を提供した上で、それを実行に移す始まりとして最初の投資のお金を貸し出します。

 

そのお金を使って何頭かの家畜を飼ったり、品種改良された種子を買ったり、家畜に予防接種を打ったりして育て、その収益で最初に借りた資本を返し、今度は利益を使ってさらに多くの家畜を買い、農地を広げ、ということを、それぞれの人の意志で進めていきます。

 

BRACは例えばそのための種子の品種改良センターを作って研究開発し、それでできた種子はBRACの研修プログラムの対象者以外にも売って、それによる収益を得ます。

詳しくは書かれていませんでしたが、BRACも、最初はドナーからの出資を基にそういった研究機関を立てつつ、少しずつ自活していったのではないかと思います。

                            つづく

本の話「貧困からの自由―世界最大のNGO・BRACとアベッド総裁の軌跡」⑥

これであれば、測るための特別な器具もいらないし、何か特別なものを買わなくても済みました。

でもこの方法の肝要な部分は、正しい知識を持っている人をどれだけ増やせるかというところでした。

BRACはここでも工夫します。

 

村の子どもがいる女性で、関心のある人に声をかけ、実際に作り方や使い方を教えます。

しっかり研修をした上で、そうして作った溶液が医療効果のある配合になっているかを確かめ、さらにその人たちからそれを普及する役割を持って、BRACの一員として働く人を募ります。

 

その人たちが各村を回って教えていくだけでなく、教えられた側がきちんとそれを理解し、実践できているかも確認します。

教えられた母親たちの何%かを抽出し、この療法のいくつかのポイントを整理して、それぞれがその点をどれだけ守れていたかで評価が細かく決まります。

 

さらには、その人たちに誰が教えたのか、ということをチェックし、きちんと教えられていた人の報酬を上げる仕組みにし、教える側のインセンティブを作って、意欲の向上や伝達方法の工夫や改善を促します。

 

今書いたのはほんの一例で、他のことについてももっと細かく一つ一つ試行錯誤のプロセスがありますがBRACがしていたのは例えばこういうことでした。

 

また、最初は小規模に、少ない村ではじめ、結果を検証し、その結果を生かしてまた次の試みをして、規模を拡大して、ということを繰り返していきました。

常に実施と結果検証が一つになって、素直にフィードバックを改善につなげていくことができていました。

                            つづく

 

本の話「貧困からの自由―世界最大のNGO・BRACとアベッド総裁の軌跡」⑤

読んでいくとまさにそんな感じで、一つ一つのことそのものは、誰もがやりそうな、思いつきそうなことではあって、それでも、それらのことをこれだけの規模でやっている組織は少なく、結果、珍しいことを成し遂げている、という状態のように思います。

 

だからこそ、何が本質なのか外から見ていても見えにくいし、もしかすると本人たちも気づいていない部分もあるのかもしれないとも思いました。

 

そうした中で、私なりにこれは違いなのではないかと思った部分を書いてみたいと思います。

 

1つは、人々が貧困状態から回復した先の世の中が持続可能な状態で発展することまで考えて支援する、ということだと思います。

もう1つは、関わる多くの人が自分を信じて力を出し合える、そしてそれが正しく評価される環境を作ったことにあるように思いました。

 

BRACがやっていることは本当に手広くて保健、教育、農業、畜産と多岐にわたります。

そのどれもに共通して言えるのは、いずれ自律していけるシステムそのものを作ることを意識していたことだと思います。

 

例えば、幼い子供が下痢で命を落とす地域で、経口補水療法(水と砂糖と塩をある割合で混ぜた液を飲むことで、脱水状態を防ぐことができる)を普及させようとしたとき、最初は、その割合で混ぜた特別な粉のパックを配布しようと試みます。

 

でもそれは人口密度の高いバングラデシュで、保健省で賄える金額を超えているし、有料で売ったら行き届かないし、そもそもそれに説明書がついていても識字率が低くてそれを読める人が少ないという問題がありました。

 

そんな時、BRACがしたことは、塩は何本の指でつまみ、砂糖は何本の指でつまむ、水は誰でも知っているこの単位でこれくらいを使う、そしてそれを混ぜ合わせる、という方法を各村で伝えていく、という手法でした。

                             つづく

本の話「貧困からの自由―世界最大のNGO・BRACとアベッド総裁の軌跡」 ④

その秘密を知りたい、と思って読んだのが、今回の本、「貧困からの自由―世界最大のNGO・BRACとアベッド総裁の軌跡」です。

 

とはいえ、正直に言うと、読んでみてこのBRACがBRACのようになれた理由が何か分かったのかというと、いまいちでした。

 

どうしていまいちだったのか考えると、一つは、BRACがやってきたことの性質と、もう一つは描かれ方にある気がしました。

 

この本は自身もこうした国際協力活動をしていて、BRACと長年関わりがあった著者が書いていて、研究者が書いた本とは書かれ方が違う感じがします。

隣で活動を見てきただけに、感情的というか、抽象的な書き方が多いように思いました。

 

確かに具体例も豊富だし、数字もたくさん載ってはいるのですが、比較対象が何かあるわけではなく、別の人が同じことをしようとしたとき、どのような条件を満たせば、こういう組織が作れるのか、という切実な視点はないような感じがしました。

(もちろん私の読解力や経験のなさのせいやもしれません!汗)

 

なので分かったような、分からないような、確かにBRACが素晴らしい組織なのは分かったけど、じゃあそれが他の組織になかなか真似できないのはなぜなのか、どうしたら同じことが他の組織でもできうるのか、というところはよく分からないままでした。

 

BRACがやってきたことの性質そのものが真似しにくいという点については、「平凡なものを組み合わせて非凡を生み出す」という言葉が途中に出てきます。

                              つづく

本の話「貧困からの自由―世界最大のNGO・BRACとアベッド総裁の軌跡」 ③

おそらくそれは、そのモノやサービスを評価する人と、そのモノやサービスを受ける人が違うことに起因しているのだと思います。

評価する人はドナー(国や寄付をしている人々)、受ける人は途上国の現地の人々です。

 

だからこそ、評価が容易に曲がるし、他の要因の影響を受けてしまうのだと思います。

 

民間企業の活動は、これとは違います。そのモノやサービスを受ける人と評価する人が同じだから、良い商品の方がより買われるし、誰かのためになるものであればあるほど、買われます。

 

常にお金という形の目に見える指標になって、フィードバックを受けられます。

それによって企業は成長するし、試行錯誤するし、それによって世界全体が良くなります。

もちろん、その中で不正も行われるとはいえ、それを防ぐ仕組みも作られています。

 

そういう、ある種健全な原理が、国際協力業界では働いていきにくいのが現状です。

 

市場原理にのせてうまくいっていないから今の状況があるわけで、完全な市場原理にのせるわけにはいかないのはある意味当然ですが、それによって、評価や結果の不透明性、フィードバックが次に生きる確証のなさが、常に付きまとっている感じがします。

 

もちろん、この問題を解決した組織は、私が知らないだけでたくさんあるのかもしれないですが、そういう事例で私が初めて知ったのがBRACでした。

 

NGOながら大きな規模があり、多数のスタッフを雇用していて、さらにそのうちの8割もの金額をどこからの寄付にも頼らず、自らの活動から得ているなら、本当にそのNGOがミッションだと思えることに、実際に取り組んだノウハウを使って力を発揮できるだろうと思います。

                              つづく

本の話「貧困からの自由―世界最大のNGO・BRACとアベッド総裁の軌跡」 ②

政治的な理由でとにかく支援をしなければ、と考える先進国と、何に使うのが国のために一番いいか判断するだけの政治体制がないものの、何かしらの支援は受けたい途上国のニーズがかみ合ってしまいさえすれば、どこかの国が支援して立てた大きいインフラが、全く使われずに打ち捨てられている、ということも容易に起こりえる話です。

もちろん、そういうケースばかりではありませんが、実例はあります。

 

じゃあどこの国の政府にも属さない、NGOなら現地の人のためになることができるのか、というと、今度は財源の確保が難しくなってきます。

活動するためには、活動に直結する費用だけがかかるわけではありません。

オフィスの賃料とか、事務作業をする人件費とか、普通の会社と同様にかかります。

 

その活動を支えるのがどこかからの善意の寄付である以上、一定の規模より大きくなることは難しいですし、活動範囲の拡大も容易ではありません。

資金を出してくれたドナーに対する説明責任もあります。

 

ドナーと現場が遠すぎることもよくあり、現場の状況や変化、その活動の意義をどうやって説明するか、ということも大きく影響します。

ドナーに実際の現場での活動は直接見えないので、どれだけ意義ある活動をしたとしても、それがドナーに伝わらず、評価されなければ次はないかもしれません。

 

逆に、パフォーマンスの見せ方さえ良く、ドナーの評価が高ければ、活動が不十分で効率が悪かったとしても、お金が集まる時・ところには集まってしまうきらいもあります。

本当に価値ある活動をしているのか、その活動に効率が悪い部分はないのか、そういった検証はかなり難しいと思います。

 

そういう、努力と評価が見合わないような部分、どちらかというと来ている波にいかに乗るかというバクチのような性質がこの分野の発展を妨げているように、いつも感じていました。

                              つづく