本の話「貧困からの自由―世界最大のNGO・BRACとアベッド総裁の軌跡」 ②
政治的な理由でとにかく支援をしなければ、と考える先進国と、何に使うのが国のために一番いいか判断するだけの政治体制がないものの、何かしらの支援は受けたい途上国のニーズがかみ合ってしまいさえすれば、どこかの国が支援して立てた大きいインフラが、全く使われずに打ち捨てられている、ということも容易に起こりえる話です。
もちろん、そういうケースばかりではありませんが、実例はあります。
じゃあどこの国の政府にも属さない、NGOなら現地の人のためになることができるのか、というと、今度は財源の確保が難しくなってきます。
活動するためには、活動に直結する費用だけがかかるわけではありません。
オフィスの賃料とか、事務作業をする人件費とか、普通の会社と同様にかかります。
その活動を支えるのがどこかからの善意の寄付である以上、一定の規模より大きくなることは難しいですし、活動範囲の拡大も容易ではありません。
資金を出してくれたドナーに対する説明責任もあります。
ドナーと現場が遠すぎることもよくあり、現場の状況や変化、その活動の意義をどうやって説明するか、ということも大きく影響します。
ドナーに実際の現場での活動は直接見えないので、どれだけ意義ある活動をしたとしても、それがドナーに伝わらず、評価されなければ次はないかもしれません。
逆に、パフォーマンスの見せ方さえ良く、ドナーの評価が高ければ、活動が不十分で効率が悪かったとしても、お金が集まる時・ところには集まってしまうきらいもあります。
本当に価値ある活動をしているのか、その活動に効率が悪い部分はないのか、そういった検証はかなり難しいと思います。
そういう、努力と評価が見合わないような部分、どちらかというと来ている波にいかに乗るかというバクチのような性質がこの分野の発展を妨げているように、いつも感じていました。
つづく