たまのおいとま

めぐりあわせのおかげで海外でしばしおいとまいただくことになった会社員の冒険と発見と悟り

東京オリンピックの開会式を見ながら考えたこと ⑤

こういうとき、コミュニケーションを阻んでいるのは、言葉の壁ではありません。

文化の壁でもありません。ただただ、説明不足なだけなのです。

 

同じシチュエーションで、最初に、「あなたの背景画像、とってもきれいですね!」から会話を始めれば、それだけでだいぶ分かりやすくなります。

この会話で一番重要だったのは、相手の背景画像を快く思っている、ということをとにかく伝えることです。

 

それだけで、頭に浮かぶ可能性の選択肢が半分になって、本当に伝えたい、ポジティブな可能性だけが残ります。

 

このまま「それ何の写真ですか?」と聞いてもいいですし、もっと明確にするなら「興味があるのでちょっと聞いてもいいですか?」と言っても良いかもしれません。

 

これで、綺麗だと思っているだけでなく、興味があるから聞きたい、逆に言うと、興味本位だからあたりさわりのない、差し支えない範囲で応えれば良い程度のこと、というのが伝わります。

 

それ何の写真ですか?だけだと、え、山だよ。くらいで終わるところが、ああ、この人はこの山のいろいろな情報について聞きたいんだ、と分かってもらえると思います。

 

日本語にすると不自然に思えるのは、私たちが使っている話し方に無意識に共通認識があって、わざわざそんなに一つ一つ説明する必要がないと思うからです。

何もマニアックな慣用句などの表現だけでなく、こういう身近な生活に近いところで、無数に共通認識を前提にした話し方があると自覚することは大事だと思います。

 

これは何も日本だけではなくて、他の国でも同じことが起こっています。

その文化圏の人しか分からないような暗黙の共通認識で成り立つ会話です。

                              つづく