おばあちゃんと過ごして考えたこと
さて、話はさかのぼり、休暇を取って海外引越準備を始めてから、日本を出発する間の狭間の時間で、おばあちゃんに会いに行っていたときの話です。
結論から言うと、私は私の二人のおばあちゃんがハイブリッドされたような人を人生の最終目標としています。(なんのこっちゃ)
・女性でも子供がいても定年まで働く
・引退後も世の中の役に立つ活動に携わり、世代問わず多くの人とのつながりの中で生きる
・たとえ一人でも規則正しい生活をする
・やるべきことから逃げない
・いろいろなものに挑戦し、多くの趣味を持つ
・一つ以上の趣味を極める
・愛情は惜しみなく注ぐ
・手を抜かない
・努力を怠らない
・教養を身につける
・常に好奇心を持つ
・お茶目な心を忘れない
・頭の回転は誰よりも速く、でも見せない
・人一倍誰かのために動く
うーん、まだまだあると思いますが、ひとまずこのくらいでしょうか。
私のおばあちゃんたちは、本当にすごいんです。
そのうえ、結婚したことでさらに夫のおばあちゃん二人もゲット(?)してもうほくほくです。高齢化社会になって本当に良かった。
おばあちゃんに会いに行くと、一通り最近の出来事について聞いた後、昔の話にさかのぼります。
両親の結婚当初の話や、親戚筋のあれやこれや。
それを聞いていると、私が今こうして存在しているのは、本当に、全然、当たり前なんかじゃないんだな、と思います。
結婚しても上手くいかなかった親戚の話、心を病んでしまった親戚の話・・・などなど、世の中でいくらでも聞く話でも、やっぱり自分の親戚と思うと、自分事に感じられてきます。
自分の両親だって、おばあちゃんたちだって、どこかでつまずいて再起不能にならない保証はなかったし、それを何かの天のめぐりあわせなのか、誰かの助けなのか、自助努力なのか、何かのおかげで今こうして生きて孫と穏やかな時間を過ごしている。
そう思うと、やっぱりその時間が愛おしいと思うし、そういう時間を愛おしいと感じながら過ごせることがまた、有難いと思うし、本当に高齢化社会万歳(何度でも言おう)
もちろん、小さい頃は、おばあちゃんのお姉さんの孫の旦那、とか言われても、さっぱりだったのですが、今社会人になってから聞くと、家系図が何となくでも頭に浮かび、真剣に聞けばちゃんと頭に入ってきます。
そして何より、おばあちゃんのことを尊敬できると、血がつながっている自分も、少しは頼れるような気がしてきます。あのおばあちゃんの孫なんだから、と。
これは何もおばあちゃんに限ったことではなくて、おじいちゃんでも、お父さんでも、お母さんでも、おばさんでも、おじさんでも、誰でも良いのですが、もし身近に尊敬できる人がいるなら、大人になってから会うと、また違った気持ちになると思いました。
それもまた、明日からの英気を養うための、小さなおいとまかなと思います。
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