東京オリンピックの開会式を見ながら考えたこと ⑪
香港の中国語の先生が東京オリンピックの開会式をすごく楽しみにしていたことを思い出しながら、私は悔し紛れに前回大会の閉会式の日本のパフォーマンス、東京大会の予告も見てしまいました。
あれは分かりやすい、と思いました。
地球の裏側からマリオが土管に入り、出てきたのが安倍首相なのはちょっとコケますが、とにかくそのパフォーマンスは、日本とブラジルが地球のちょうど反対側にあることのつながりを感じさせるものでした。
ありがとう、という言葉とオブリガード、というブラジルのありがとうを指す言葉のつながりも鮮やかでした。
ブラジル人のクラスメイトが、私知らなかったわ、オブリガードって日本語から来てたのね!と声をかけてくれたことがあります。
その真偽のほどを私は知らないのですが、それだけその人の心に日本とブラジルのつながりが残ったというのは重要なことだと思います。
もちろん彼女が、オリンピックを見たからそう声をかけてきたわけではないかもしれませんが、可能性は高いと思っています。
予告パフォーマンスで一番伝えるべきことは、ブラジルから日本へバトンが引き継がれることを明示し、ブラジル大会を称えつつ、東京大会への期待を膨らませることであり、開会式のような国際的式典色は少し薄れると思います。
その意味で、悪くなかったのではないかと思いました。
そしてそれだけに、中国語の先生の期待も高まっていたように感じます。
いやあ、やっぱり椎名林檎がいなくなっちゃったからかなあ、、とか勝手にいろいろ考えて、やっぱり、国際的に通用する伝え方ができるようになるには、何より場数なんだろうと思いました。